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2011/07/29

「天平の阿修羅再び 松永忠興の仕事」

フリーの編集者、関橋眞理氏編集の本book。すごく興味深い内容のはずなんだけど、なんだか編集の仕方が良くないのか、100%そのおもしろさが伝わってこないカンジdown。もどかしぃ~bearing


松永氏は東京芸大の彫刻科を卒業して美術院で40年間に渡り国宝仏を修理、模造をしてきた人。浄土寺の阿弥陀三尊像や興福寺の阿修羅立像などを手がけてきたそう。周りの人の話では、すごーく頑固な人らしい。職人らしいと言えば職人らしいけど、注文主の意向にそぐわないこともしたらしい(模造作品について古色をつけるのを拒否したが、最終的にはこれもアリか、ってことになったらしいけど)ので、やっぱり単なる職人じゃないのよねー。それなのに自分のわずかな経験の中でそんなこと(自分の我)を言うのは職人ではない。職人の世界とはそういうもので、芸術家とは違うんです。だからまた、そこが誇らしいところです。注文に応じたものを造れるわけだから、よっぽど技術がないと造れないですよ。それが技なんです。技の修練というものです。』なんてちゃっかり言っちゃってるし…。どっちなんだよannoy


しかしやっぱり、一級の芸術品にはあこがれる。円成寺の運慶作、大日如来座像についてはこのように。そうです、美術院ではこの像からレーザーで計測を始めたんです。だから像の各部の正格な数値は楽に出せた。でもこの像は、計測では測れないものを秘めていて、それは運慶さんの芸術的表現ですね。』なんせ、芸大の彫刻科ご出身ですからねshine


でも、芸術品としてだけでなく、祈る対象である仏像の本質に迫る仏師の姿勢について語る松永氏の言葉は、はやり修復士ならではの重たいお言葉なのよね。平等院・雲中供養菩薩像(もー、コレ、ちょーラブリーでわたくしダイスキーッheart04sign01)について。『見える、見えないには関係ないんです。やっぱり荘厳していくわけですから。仏像を形に表していくとき、裏側は見えないからという発想がまったくない。荘厳が省略される箇所が多くなるのは江戸時代くらいからです。』江戸人、合理的すぎて手ぇ抜きました…sweat02。(荘厳とは、仏像や仏堂を、天蓋・幢幡(どうばん)・瓔珞(ようらく)などでおごそかに飾ることshine。)


あと興味深かったのは、模造に彩色する日本画家さんのお話。今でも日本は古典材料の入手に事欠かない国で、本当に古墳時代から連綿と使われていた絵の具が、まだ絵具屋で普通に買えるんです。日本画界、すげぇgood


ってなカンジで、わたくし、勝手に「リ編集」いたしました。フフフーcatface

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