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2011/08/25

「フクシマ論 原子力ムラはなぜ生まれたのか」

現在東京大学の博士課程にて社会学を専攻する大学院生、開沼博氏の著作book


利便性のみを追求し電気をジャカジャカ使っていたわたくし、福島の第一原発事故後、原発というものをどう考えたらいいのかわからず、まずは歴史を勉強しようと思ってこの本を手に取りました。


開沼さんは「3.11」の直前に、「原発」を切り口に、「ムラ」(原発立地町村)と「地方」(原発立地道県)の側からのフィールドワークを繰り返しながら日本の権力のありかたを論じる修士論文を提出していたそうです。事故後、この論文に補稿するかたちでこの本が出版され、事故前の「原子力ムラ」の実態を描いたものとして今や非常に貴重な論文となっていると思います。


なぜ福島に原発があるのか?ここでもやっぱり、その謎を解くのは「戦争」でした。もともと福島は中央に近い産炭地であったことから、「中央へのエネルギー供給地」としての位置づけがあった(しかし質があまりよくないのと、陸送の費用が海上輸送よりかかるようになり北海道や九州に取って変わられてしまう)。そして戦中、「総力戦」の名のもとに軍用地として大規模な土地の召し上げがあったり、戦後は不足した塩を産出するための塩田としてその土地を企業に払い下げされたり、という感じで常に中央への貢献をしてきたエリアだったようです。


で、そんな歴史の流れのうちに、福島には「日本(中央)のエネルギー供給地としての誇り」のような意識があった、といいます。しかし、戦後の復興、高度経済成長の中で中央との経済・生活レベルの差が顕著になるにつれ、「自分たちも中央のようになりたい」という欲望が生まれてくる。平行してこれも戦後の変化だけれど、戦前まで「官選(中央→地方)」だった県知事が「民選」となり、逆に地方から中央へエージェントを送り込むといういわゆる「利益誘導」の55年体制ができてくる。そこに国土開発のための「国土総合開発法」(1950年)というエサが撒かれ、現在日本中で稼働している原発はこの後、1960年代後半までの間に誘致活動が起こり建設されたものなんですね。


当時、国民の原発への意識はどの程度だったかと言えば、ほんとんど無知、というのに等しかったようです(まぁ、福島の事故前まで各地で原発事故が起こっていてもわたくしも無関心でした…。)。この本では「愛郷心」と記述されているけれど、それでもって自分の地域へ原発を誘導した県知事も実体についてはほとんどわかってはいなかっただろうと思います。この時点で大きな影響力を振るったのが、原発を「夢のエネルギー」として一大促進キャンペーンをはった読売新聞。社主・正力松太郎が物理的にも中央と地方を取り持ったわけです。そうして、福島の住民にとっては、なんだかわけがわからないうちに「でもなんとなくスゴそうなものがオラがムラにできる」というワクワク感と、やはり「中央へのエネルギー供給地」としての誇りがあった、というわけです。


そしてあとは、わたくしたちが見聞きしているように「原発マネー」だけでなく「文化」も「中央」から導入され、「雇用」も確保され、もはや原発なしでは成り立たない「原子力ムラ」となってしまった。著者はこのかたちを「自動的かつ自発的な服従」と呼びます。「原子力ムラ」は「アディクショナル」に原発を求めると。「アディクショナル」とは、よくないことだとわかっているがやめられない、というニュアンスを含んでいる。そして「危険なことはない」と自ら信じ込む。本当に切ないことです。


福島の地元住民を一方で「自分たちで使うわけではない電力を作ってきたのにこんなことになってしまってかわいそう」と「良心派」ぶり、他方で「結局補助金とかジャブジャブもらってたんだから自業自得でしょ」と「リアリスト」ぶる人。(中略)中央の人間は結局この落としどころがどこにあるのか、この放射線という不可視なものがどれだけ自分に害をおよぼすのかが知りたいだけ。色々聞こえのいい小難しいことを言っていても、その裏には自分の身に火の粉が降りかかってきた恐怖感をどうにかしてふり払いたい、払うにも気持ちのやり場がわからないからとりあえずありものの知識や知識人に信頼を仮託し、独り善がりにつぶやくことしかできない。どうにかあらたな「神」を見つけて失われた安全・安心への信心を取り戻したいという欲望のみがそこにある。これがもっと早く収束していたら、福島よりも東京から遠いところで起こっていたらここまで騒ぎにはなっていなかった。どうせ時間が立ち(ママ)、火の粉が気にならなくなればニワカは一気に引いていく。』沖縄基地問題しかり。耳が痛いデス…。


著者は、安全な外から眺めているマスメディアの情報に寄りかかってはならない、そしてフクシマの圧倒的なリアリティから目を背けてはならないと言う。原発がなければ、家族と毎日暮らすというあたりまえの幸せも得られないほど貧しいムラの「子や孫が残って暮らせる」という夢がかなえられつつ、しかし同時にその原子力に未来を破壊されてしまうかもしれないという(福島は現にそうなってしまっているけれど)見て見ぬ不安を抱えるムラのリアリティを。


事故後、原発立地自治体での首長選や議員選の結果、原発推進派が当選したという事実を中央の人々は知る必要がある。声高に反原発を叫ぶ人たちは、自分たちのポジショニングにあまりにも無自覚なのではないか。社会正義を声高に叫んでも、それは「生か原発か」とまで追い込まれている田舎をある意味さらに追いつめることになる、と著者は指摘しています。


この著作では、こういう「原子力ムラ」を生み出したのは、戦前戦中戦後、ずっと日本の社会の底を流れ、現在も日本社会を縛っている「前近代の残余」であると述べています。原発を推進してきたいわゆる産官学の〈原子力ムラ〉も硬直的で保守的な「前近代の残余」だと。そう言われてみれば、全く日本社会全体が「前近代の残余」によって動かされているとしか言いようがない。今の政治然り、行政然り、財界然り、マスメディア然り。


興味深いのは、「ムラ」と「地方」と「中央」の関係についての記述。かつて「ムラ」と「中央」の間にはメディエーターとしての「地方」つまり「県」とか「道」ってことだけど、が重要な役割を担っていた。しかし、「ムラ」が「自動的かつ自発的」に「中央」に服従するようになり「地方」はオミットされるようになった。ここには原発立地県として主導権を握ろうとした県知事の活動についても記述されていて非常に興味深いものがあります。この「反中央」の県知事が汚職事件によって辞職に追い込まれたという事実も実に興味深いものがありますね。特捜の冤罪事件を知った後では特に。そして、つい先日、北海道の知事が、道の意見を聞かずに国と電力会社が直接やりとりして泊原発の営業運転を再開させようとしたことに烈火の如く怒ったという事実を思い出して、なるほどねー、と。結局知事のパフォーマンスとしか思えない結果となりましたが。


実はわたくし、「なぜ汚染された土地にこうもしがみつくのか。日本全国どこでだって暮らしていけるじゃん。」と言い放ったことがありました。今、全くとんでもないことを言ってしまったと反省しています。わたくしは子どもの時から親や自分の仕事の関係で引っ越しを繰り返し、日本各地で生活して来ました。それこそ大都市から田舎まで、です。でもそれはあくまで背後に会社やらなんやら、しっかりとしたものがあったからこそであって、それこそ中央にあって「原発反対」を叫んでいる人たちと何ら変わりはないと、思い知りました。ああ、全く、無知であるということは恐ろしいことです。


まずは「原子力ムラ」の現実をこれからも忘れないよう常に意識しつつ、独善的な発言は控え、近所のスーパーで福島産の桃を買おうと思います。


というわけで、非常に気づきの多い著作でしたが、たぶん大急ぎで出版したのでしょう、誤字脱字があまりにも多い。スラスラと読める種類の本ではないのに、ひょっとすると誤字脱字のせいで意味を正しく読みとれていない可能性もあるのが残念ですね。

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