« 「取り返しのつかないものを、取り返すために 大震災と井上ひさし」 | トップページ | 「心にナイフをしのばせて」 »

2012/01/16

「女子高生コンクリート詰め殺人事件」

佐瀬稔氏著、1990年刊「うちの子が、なぜ!」を改題して文庫化されたものbook。佐瀬さんは元報知新聞の記者で、1998年没。


1989年、今から22年前、東京都足立区綾瀬で起きた女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人の生い立ちや親子関係、犯行時の心境などを、主に裁判記録を追い明らかにしたノンフィクション。佐瀬さんはあとがきでこんなふうに書かれている。『(民間女子教護院で働く先生が、「今の子どもたちを駄目にしたのは私たち昭和ひとケタ生まれなのです」と言ったのを聞き)以来、このことが胸から離れないようになりました。事件や事故が起こるたびに「この荒涼の風景は、自分たちが作ったものだ」という実感が重くなっていくのです。自分たち自身の「時代の問題」だという切迫感ゆえに、ただの一度も他人事と考えたことはありません。』


このように佐瀬さんは、事件を自分に引き寄せて書いている。翻って、わたくしは実はこの犯人らとそれほど変わらない世代に属していて、彼らと何がどう違っているのか、はたしてわかるものだろうか、と思い、この本を手に取ってみた。


結論から言えば、よくわからなかった、としか言いようがないthink。彼らの生育環境から強いて共通点を見つけるとすれば、親、特に母親への屈折した思いから家庭内暴力が発生していた、という点か。単に放任だったからとか、逆に厳しく当たりすぎていたからとか、そういう表に現れる母親の態度よりも、子どもにとって「母親に愛されているという実感」がなかった、というのが鍵のようだ。大事な時期は小学校の3年生から4年生らしい。彼らにはいずれもこの時期に最初の転機が訪れている。


激しい家庭内暴力が親を恐怖させ、その後の重大な事件を見逃す伏線になっている。女子高生が監禁されていた部屋は犯人たちの中のひとりの自宅の2階で、両親とその兄弟も少女が部屋にいることを知っていた。地域の少年たちおそらく100人近くが、うわさの範囲も含めて知っていた。それなのになぜ女子高生は死なねばならなかったのか。


似たような生育環境・状況にあってもみんながみんな犯罪者になるわけでもないだろうし、「本当に愛情が伝わってるかどうか」なんて親だって確信は持てないだろう。いったい何が分かれ道になるのか?ますますわからなくなったtyphoon


しかし少年犯罪における更正という点では、やはりそう簡単には事は運ばないようだ。犯人らのうち少なくともひとりは、その後暴力事件を起こし捕まっている。反省なんかひとつもしていない。やはり人間の根幹って幼少のうちにある程度決まってしまうものなんだろうか。本当に人間って難しい。

|

« 「取り返しのつかないものを、取り返すために 大震災と井上ひさし」 | トップページ | 「心にナイフをしのばせて」 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/213530/53753504

この記事へのトラックバック一覧です: 「女子高生コンクリート詰め殺人事件」:

« 「取り返しのつかないものを、取り返すために 大震災と井上ひさし」 | トップページ | 「心にナイフをしのばせて」 »