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2014/02/13

「コンクールでお会いしましょう」

いやー、めちゃ勉強になるワーconfident。2003年中村紘子さんがNHKtv「人間講座」で講演したものを加筆改訂して出版したものbook。サブタイトル「名演に飽きた時代の原点」。今世間を騒がせている“ゴーストライター事件”にも繋がってくる内容で、なにやら感慨深いものがあるワ~think


タイトルが示す通り、コンクールの成り立ちや意義などを中心にクラシック音楽の演奏について深く思索したものなのね。中村さん、文章penでの表現力もスバラシいですshine。ユーモアもバッチシgood。人間としての総合的なチカラも一級品ですね~diamondshine


この本では、クラシック音楽のあり方が、時の政治・経済・社会と切っても切れない、というか常にその影響を受けてきた、ということが簡潔に説明されてます。ピアノが力強い音で鳴らせるようになったのも産業革命の鉄鋼生産技術の進歩の影響、なんて聞かされれば改めてハッflairとさせられるワ。


フランス革命や産業革命によって市民階級が台頭upwardrightしてくると、それまで王侯貴族crownのものだった音楽が市民のものになってくる。で、音楽家たちが経済的に自立できるようになると作曲家と演奏家の分業がおこり、双方共に質が上がってくるup。豊かな響きを獲得したピアノは市民階級のステータスシンボルとなって、市民自ら演奏するようになると、「プロ」は名人芸を競うようになる。初期は楽譜からどんどん遠ざかる曲芸のような演奏がもてはやされたけれど、作曲と演奏の分業が進みお互いの権利が重視されるようになると(ここでも産業革命の影響があるのね、権利の確保っつー。)、作曲家のオリジナリティを尊重し、厳格に演奏されるようになる。これがコンクールの原型なのでは、ということですね。


近代における最初の本格的国際ピアノコンクールは1890年。調べてみたら日本では明治23年、東京音楽学校が出来た年なのねー。文化的に西欧に遅れを取っていたロシアが国家政策として音楽に力を入れた結果、20世紀のコンクールの優勝者はロシア人だらけになったと。ちなみにアメリカのジュリアード音楽院って、ロシア革命の時亡命してきたロシア人がつくった学校だったのね。初めて知りました。


そして政治と切り離せないって部分で印象的だったのは、ショパンコンクールについて書かれたところ。第一次世界大戦bombとロシア革命impactによって大混乱typhoonとなった後、1927年、ポーランドのワルシャワで「ショパン・コンクール」が誕生したんだけど、苦難の歴史を歩んできたポーランドの人々の想いを、音楽家であり独立運動の指導者でもあったパデレフスキーと絡めて言及している部分にはわたくし、なんだかすごく胸を打たれましたcrying。『永い間列強の支配下で被征服民族として苦しんできたポーランドの国民の前に、同じ民族でアポロのように輝かしくしかも国際的な大スターとして現れたパデレフスキーの姿は、ポーランド人の愛国心を奥底から揺さぶり、民族の誇り、民族の魂に炎を投げ込んだに違いありません。そしてその民族の熱狂のなかから、再びショパンが蘇ってきたのです。』『念のため付け加えるなら、その頃まで、ショパンとその音楽はフランスに奪い取られていたといっても過言ではありませんでした。(中略)そのショパンを、今こそ名実共にポーランドの我々の手に取り戻そう。ショパン・コンクール誕生の背景には、そんなワルシャワの人々の悲願も込められていた、と私は想います。』ナミダ…weep


ロシア革命の影響は、社会主義が資本主義に勝っているというPRをするためにソ連が全力を挙げた結果、スポーツではオリンピックでのメダル量産、音楽コンクールでは優勝者の量産という結果に。わたくしも幼い頃、オリンピックを観戦していて、「またソ連かーgawk。」なんていささかウンザリした記憶があったんだけど、そーゆーことだったわけねthink。一方この頃の技術革新の影響は、ラジオとレコードの発明。それによって、ミスのないクリアな演奏が好まれるようになったと。この“新しい音楽鑑賞の仕方”が、コンクールの基本的な基準をいろいろなレベルでつくりやすくなり、そしてそういうコンクールの増加が、新しい形で専門化した演奏スタイルに拍車をかけるdashことになったと。いやー、繋がってますねーrecycle


また、経済的豊かさdollarとの関連も書かれています。チャイコフスキー・コンクールの優勝者、ヴァン・クライバーンの件。ソ連の社会主義国家の威信をかけて開催されたコンクールで、これまでダメダメngだったアメリカの中からひとりの青年が優勝してしまった。わたくし全然知らなかったんだけど、当時、世界では「クライバーン現象」とでも言うべき一大熱狂旋風typhoonが吹き荒れたのねー。この熱狂ぶりはひとりのクラシック演奏家が起こしたものとしては20世紀最大だったのではないか、と中村さんは書いています。それは当時の冷戦体制という社会的状況、メディアの力なくしては起こり得なかった。で、そのスーパースターはその後どうなったかってーと、ピアニストとしては結果としてダメだったdown。ソコヂカラとしての実力が伴わないまま大衆の人気だけがスゴかったので、次第にバケの皮が剥がれてきた。気の毒な人ではありますdespair。内気な人だったようだしね。中村さんの筆致はとても優しいです。1993年当時、中村さんはコンクールの審査員として招待され、クライバーン氏のお屋敷に200人の客とともにディナーrestaurantに招かれたそう。その豪華で裕福crownな暮らしぶりに接し、『ヴァン・クライバーンが、その素晴らしい資質と幸運なスタートに恵まれながら芸術家として成熟することなく終わってしまったのは、結局アメリカのこの豊かさ、「豊かな社会」の楽しい生活に原因があったのではないか、と。』これは、「クライバーン・コンクール」の優勝者が、その後成功していない、という事実にも共通するものがあるのではないかと中村さんは言っています。このコンクールの優勝者には、世界中で演奏活動を行える契約がついていて、その何百という演奏会を行っているうちに燃え尽きてしまうのではないか、と。コンクールの主催は、裕福なアメリカの中でも特に石油生産によって巨万の富dollardollarを得ているテキサス州の都市。金にモノを言わせて、まぁ良かれと思ってやってんでしょうが、ものすごい副賞をつけたせいで本当の芸術家を育てることを阻害してんじゃないかってことねcoldsweats02


これは面白い事実にも繋がっていて、クラシック音楽を生んだ西欧諸国の人々はだんだん鑑賞する側に回っていき、演奏するのは「周辺国」のソ連東欧に移り、さらに日本、韓国、中国などの「辺境」に移りつつある。大昔、ローマの市民が寝っ転がって飲み食いwinedeliciousしながら奴隷たちの闘いを鑑賞していたように…。中村さんのご指摘、スルドーthunder


後半は、コンクールの審査などその内情をいろいろ教えてくれています。ちょっと下世話になるところもナイスですーsmile。ポーランド人審査員が「この演奏はショパン的ではない」とかドイツ人が「ベートーヴェン的でない」とかフランス人が「あれはフォーレじゃない」などと言い出して収集がつかない、とかcoldsweats01


そして、“チャレンジド”の演奏家にまつわる「プラスアルファ」の問題にも言及されています。「ただの名演」に飽きたわたくしたちは「人間のドラマ」、感動を呼ぶ「人生」そのものを「プラスアルファ」として求めているのではないかと。確かに音楽的にたいしたことがないにも関わらずもてはやされる演奏家はいるかも知れない。熱心なクラシックファンは否定しがちだけれど、中村さんは深いお言葉を発しておられます。『折りにふれなば何事かこころ動かざらん」。感動というものは基本的に大変複雑で多様なものなので、単純にホンモノニセモノなどと言うべきものではありません。とくにこの21世紀の豊かな社会では、さまざまなメディアの力によって、芸術の世界でも多彩な「プラスアルファ」の演出が行われ、その感動も多様化しています。ここで、その音楽的素養や知識によって音楽的感動のホンモノニセモノなどといった差別をするのは、特にクラシック音楽ファン独特の「オゴリ」とでもいいましょうか、例の教養主義的な独善となる危険をはらんでいるのではないでしょうか。』はぁ~、反省します。


しかし、こんな中村さんの深い想いwaveを裏切るような今回の“ゴーストライター事件”が、もし“チャレンジド”を装った「金儲けyen活動」だったならば、言語道断angry、論外annoy、ではあるけれど、心ある人たちが言っているように、曲には罪はないわけで、「楽曲そのものがいいと思った」なら、「騙された」と怒る方がおかしい。喧伝しておきながら「詐欺だった」と書き立てるマスコミもシロートよね~。あー、恥ずかしい~angry


そして中村さんのスバラシいshineところは、そんな飽きられてきた「ただの名演」のために膨大なエネルギーを費やす若い演奏家の卵たちchickのモチベーションを維持させるupために必要なものについても考えを及ぼしているところなのよね~。そのひとつはやはりコンクールなのだろうと。コンクールの意義のひとつが、彼らが世に出るきっかけを与えることだろうと。『しかし、ここではっきりと確認しておくべきことがあります。新しい商品が「大量消費社会」のなかでたちまち消費され、次々と現れる新しい商品にとって代わられるように、「プラスアルファ」の刺激に支えられた音楽的感動は長続きはしません。それに対して、私たちの愛するクラシック音楽そのもののもたらす音楽的感動は、決して変わることがない。今日、音楽コンクールが増え続けているのは、「豊かな社会」における音楽の多様な普及に対するものであると同時に、その根底において、この音楽の「プラスアルファ」による「商品化」の流れに抗して、クラシック音楽そのものの感動を守ろうとする動きでもあるのです。


さて、中村さんのオチャメribbonな文のうち、わたくし特に印象的だったところ。「美人はどうする?」笑いましたーhappy02。『ところでこの時ある審査員がジョークまじりに、美人はどうする、と小声で言ってみんなをわかせました。改めて言うまでもありませんが、コンクールに参加するピアニストのなかには、すごい美人やセクシィな少女も登場します。彼女たちは、コンクールの審査においてもすごく有利なのではないか?ここでも結論を言えば、あまり関係はありません。(中略)これについて思い出されるのは、15年ほど前スペインでのコンクールで日本人のかわいい女の子が登場したときのことです。たまたまそのコンクールに参加した女性ピアニストたちが、見た目にも「男勝り」の猛者(?)が多かったためもあるのでしょうが、「まるでプペ(お人形)みたいだ」と男の審査員たちがいっせいにはしゃぎました。そこで審査の席でどうなるかと思っていたところ、彼女はあっさり第一次予選で落ちてしまいました。回ってきた採点表をみたところ、はしゃいでいた男性の審査員たちのなかには、なんと零点をつけた人たちもいたのです。「プペ」ちゃんへの期待が裏切られたせいだったのか、もしかすると美人にも公正にのぞもうという意識過剰だったのか…。


およそ「芸術的ではない」という批判もあるコンクールだけど、その点も歴史的な流れの中で踏まえつつ、しかしそれでもなお、若い演奏家の卵たちchickに飛躍fujiのきっかけを与えるものとして機能するコンクールの意義を深いところで捉える中村さん、クラシック音楽を人間のあり方との関係の中で思索し愛する、本当にスバラシいshinediamond音楽家だと思いますconfident


中村さんがお勧めする、浜松国際ピアノコンクールの第一次予選、いつか聴きに行ってみたいワ~note

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