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2014/04/23

「三國志 第弐巻」

宮城谷昌光氏著、第2巻book。ようやく曹操や劉備が登場してオモシロくなってきたーhappy02


実はわたくし子供の頃、NHKtvの人形劇で「三国志」を初めて知ったので、そのキャラクター像がものすごく印象に残ってたのよね。なので、今回この小説を読んでて、その人物像のあまりの違いにものすごくビックリcoldsweats02もしてるんだけど、その視点の斬新さにもハッflairとさせられるのよねーgood


その筆頭は劉備玄徳さんsmile。人形劇ではほんとにちょっとツマんないくらいカタブツに描かれてたのに、これを読んでるとそのイメージがガラガラ~downwardrightなの。一番笑ったのは、廬植先生という超有名な先生について勉強する機会を与えられたのに、勉強についていけず『スポーツとミュージックとファッションに興味はあるが本を読まない若者』だったってくだり。ダメじゃんng。なので『(劉備が関羽、張飛と出会ったのが黄布の乱が起こった4年くらい後であると語った後)それよりも劉備が、討伐軍の将となるほどの廬植の下にいながら、師からは嘱目もされず、官途にも就けなかったということに問題があろう。』えーッcoldsweats02sign01人形劇と全然ちがーうッsign01でもやっぱり『不良がかった劉備だが、寡黙で、人を威圧する態度をしめしたことがないので、独特のふんいきをただよわすようになり、かれより年下の少年たちのあこがれの的となり、多くの知人を得た。学識がないというかれの劣等意識が、――善く人に下る。(『三国志』)という美点を産んだのであろう。』人徳があったってコトかしらwink不思議なヒトだわねー、劉備さんtulip


一方曹操さんは、度量の大きい人だけどやっぱ「敵」ってイメージなのよね。でもここでも“大物”感が出てるの。しかもちょっとカッコイイshine。黄布の乱の平定に功をあげた曹操が、昇進することになったときあんまり嬉しそうじゃないのをお父さんが見て、「もっと嬉しそうにせい」という。でも彼が不機嫌なのは『黄布を頭につけた兵を撃殺しているうちに、――この者どもは、ほんとうに悪か。と、思うようになったからである。』もとは力の弱い平民だったのに、生業につかせず流民としてしまったのは誰なのか、国の基本である人民を殺して何になる、って悪政を続ける朝廷への疑問が戦場でも湧いてくるあたり、冷静で頭がイイのよねgood。なんせ『曹操はうしろにも目をもっているような男であ』るからねー。ただ単に遊び回ってウソこいてばっかのオトコじゃないってことなのねsmile


キャラクターの捉え方の斬新さthunderは、董卓もそうで、ものすごく悪いヤツも違う面から見てみると、辺境の地出身の彼は、中央の政府から一方的に搾取され続け、困窮している地元民の気持ちをよく理解していたわけで、ただ私利私欲のためだけに朝廷の転覆を図った、とだけ言うわけにはいかないと。なるほど~。しかし、権力を握ってからの態度はどーなのー?だわよpout


で、その権力を握った時、ヒトはどうなるか。『世のふしぎさのひとつに、権力が増大するほど人の声が聴こえなくなるということがある。ゆえに権力者は人の数倍の努力をして人の声を聴かなければ、正常な規矩を失って、幻想や妄想に尺度をもって未来をはかるようになる。』うーむ、どこぞの国の総理大臣に聞かせたいお言葉think


そしてそういう私利私欲に走る権力者が暴虐の限りを尽くしているのを黙って見過ごし、睨まれないように身を潜めていたくせに、それが打倒された瞬間、獲物の分け前に預かろうとするゲビた官僚がいる、というのは今も昔もかわらない、とdown


今巻でも“世の真理”とでもいうべき記述がたくさん登場してます。宦官たちのめっちゃくちゃなやりようを何とか正そうとする賢臣や名士たちが、逆に宦官どもの姦計によってどんどん粛正される事件が起こった時、郭太という名士が嘆いたことば。『人の云(ここ)に亡ぶる 邦国 殄瘁(てんすい)す 烏の爰(ここ)に止まるを瞻(み)る 誰の屋(おく)に于(おい)てするかを知らず (人が死ねば 国も死ぬ 不吉な鳥は どこに止まる)』。


教養も深まりまするpencil。『孫子』の戦いかたは戦うどんな場面にでも使えそう。『戦いかたは、『孫子』にあるように、巧拙があり、それは、伐謀、伐交、伐兵、攻城 と、上から下まで分別されている。最上は敵の謀を伐つことであり、つぎは敵の外交を伐つことである。じかに敵兵を伐つのは巧い戦いかたとはいえず、城を攻めるのは最もまずい戦争のありかたである。』ふ、ふかい…up


そしてわたくし、親近感cloverがわいたエピソードがこれ。政府に絶望していた人民が天下の名士として尊敬していた人物のひとり、陳蕃さんが15歳の時、雑草のびほーだいの庭の自室でダラダラしているところへおじさんが遊びに来たそーな。おじさんはその庭へチラリと目をやって「庭の掃除くらいしろ」と言ったところ、陳蕃クン、『大丈夫の処世というものは、天下の掃除をおこなうものであって、家の掃除などはするものではありません。』そーだっsign01そのとーりだっsign01よく言った、陳蕃ッsign03


このように、教養も深められつつdiamond、ところどころ、思わずプッdashと吹き出しちゃうようなカワイイchick記述もある宮城谷版「三国志」、次々いくわよーimpactpunchhappy01

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