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2015/01/23

「三國志 第八巻」

はぁぁ~、ここ八巻に至って、英雄たちがどんどん死んでいくぅぅ~~weep。サビシイ~~crying。宮城谷昌光さん著「三國志」book、山を越えました…。


まず最初に亡くなってしまったのが関羽さん。これまで宮城谷版ではあんまり登場してこなかったんだけど、最期の記述にはわたくし、宮城谷さんの関羽に対する尊敬を感じて、ナミダなくしては読めなかったワweep。敵に追われ、山中でわずかの部下とともに孤立し、ついに囲まれちゃう。『  これは天意か。と、思うようになった。いや、天意とは何なのであろう。天は正しい者を助けるとすれば、孫権が劉備との同盟を放棄し、関羽をあざむいて公安と江陵を奪ったのは正しくないので、あの行為は天に祐(たす)けられたものではあるまい。それにもかかわらず、正しくない孫権に追われている自分がある。このまま劉備のもとへゆくことが正義なのであろうか。もっといえば、不正から逃げることが正義なのか。そうではあるまい。不正は匡さねばならず、関羽の立場では、それは戦うということになる。関羽はわずかに笑み、「天帝のお召しである。われらは天に昇ってふたたび会おうぞ」と、関平と配下にいい、呉兵の列に突入した。この十数騎は一騎も敵陣をつらぬくことができず、殄滅した。』号泣crying。『関羽は孤立無援となって死んだ。それはたしかであるが、じつはそれは関羽の志ではなく、劉備の志の体現ではなかったのか。関羽は『春秋左氏伝』を暗誦することができたことでもわかるように、伝統と常識をおそろかにする型の武人ではなく、かれが樹てようとしていたのは過去から学んだ正義である。そこには独尊はない。独尊の思想をもっていたのは、劉備である。それを志というのであれば、その志はもっとも実現から遠い、とわかっていたのは関羽であろう。しかしながら、関羽は、その志を捨てたほうが生きやすくなる、とは一言もいわなかった。それゆえ関羽も劉備も、むずかしい生き方をつづけた。劉備の思想に変化が生じたのは、諸葛亮と遭ってからである。やがて益州を得て、実現することがむずかしい志を捨てたがゆえに、漢中王となった。ながく劉備とともに歩き、もっとも深く劉備を理解していた関羽は、そのことを惜しんだ。 劉備の志とは、そういうものではなかった。もっと超絶したものであった、と関羽はいいたかったであろう。それを天下に知らしめるために、関羽はひとりで魏と戦い、呉と戦った。それはすなわち劉備への敬愛の表現であった。』再び号泣crying。関羽さぁぁ~んcrying。孔明と出会ってから劉備はすっかり孔明にベッタリheart04しちゃって、最後の方は二人の関係性もビミョーなカンジtyphoonになっちゃってたのに、関羽さんのこの献身ぶりweep。で、この関羽の首を孫権は曹操に送るんだけど、曹操は「慇懃無礼」だと孫権に対して激怒しangry、関羽を魏の諸侯として厚く葬ったのね。曹操(Love)→関羽(Love)→劉備っていう永遠の片想い。人生とは思い通りにならぬもの…。ふぅ…。


曹操の行動や処置にも、詩がある、というべきではないか。実際にすぐれた詩人である曹操は、その知識、その行蔵、その倫紀によって、いくたび歴史に爽涼の風を吹かせたであろうか。』で、その曹操さんもあっさり亡くなってしまうの。シクシクweep。ま、あっさり描かれた方が、ひどく悲しまなくてすむからイーんだけど。結局、曹操は、どれほどまわりから帝位につくべきだと言われても、死ぬまで皇帝の地位につくことはなかったのよね。皇帝をイイように扱ってもやっぱりそれほど厚かましくはなかったっていう。ま、タイミングの問題が大きかったんでしょうけども。西方に領土を拡張していく戦いの中でも、「行っちゃえ、行っちゃえーpunchsign01」っていう司馬懿の進言を退けてるし。“足るを知る”のヒトだったのね。なんか、ホント魅力的で不思議なヒトねconfident


で、めっちゃ厚かましかったのが劉備玄徳さんなんだわーsmile。劉備さんも死にますけど、最後まで宮城谷さんの筆は劉備をイタブってますsmile。献帝が曹丕に禅譲したのを知り、自らサクッと皇帝を名乗っちゃうcoldsweats02。『…「われには徳が不足しており、いまという時に、まだ敵は滅んでいない」と、曹丕でも示した謙虚さを、(劉備は)群臣に示さなかった。』そして曹操が死んだのを知り、『(関羽と曹操の)ふたりは劉備を生かしつづけてくれた人である。劉備は落胆した。いかなる窮地に立っても、けっして絶望しなかった劉備が、はじめて、 関羽を殺してしまった。と、ひそかに哭いて(気づくのが遅ぇんだよッangrysign01)、もうすすまなくてもよい、と感じた。歩きつづけ、登りつめたところが皇帝という位であり、そこに着席した劉備は、さっそく友の仇討ちをする。もともと道義の道を歩いてきた劉備ではない。皇帝にあるまじきことをおこなってこそ劉備であろう。』(爆impactsign01)私憤で戦争を開始して、自国兵に犠牲を出してもへっちゃら~~note。そして病を得てついに『癸巳(きし)の日、劉備は殂(し)んだ。六十三歳であった。かれは、前漢の高祖・劉邦を模倣しつづけたといってよい。ただし敵視した曹操が項羽のように単純ではなかった。端的にいえば、劉備の一生は創意も工夫もなかった。ただし、それをつらぬいたことで、凡庸さを突き破ったのである。が、曹操の有為に対して劉備の無為は、秘めた徳というべき玄徳に達したか、どうか。』懐疑的なわけデス。宮城谷さんとしてはsmile


で、ここから諸葛亮が前面onに出てくるんだけど、ここではまだ海のモンとも山のモンともはっきりしないのよねー。ここが「演義」とはえらく違うところ。ただ、劉備が死んで国内に不穏な動揺が生じてきたため、刑法で厳しく律したので人民に恨まれた、なんて記述があるのよ。でも、『国家の法令がぬるいほうが、けっきょく人民の苦しみはますのである。法令とは、君主や国王を護るためにあるのではなく、人民を守るためにあるのである。諸葛亮はその点すぐれた司法者であり行政者であった。』と宮城谷さんは、一面で認めてますgood


さて、この巻でもプチ故事来歴コーナーがありますpencil。人の品位、品格ということばは、曹丕の臣下であった陳羣(ちんぐん)がつくった法がその下敷になってるそうな。すなわち「九品官人の法」。官吏を九つの階級にわけるもので、上上、上中、上下、中中、中下、下上、下中、下下というのがその階級なのね。そーいえば、阿弥陀如来さんの印も九つあったナーconfident。九品印(くほんいん)ってやつ。仏教はこの時代まだ本格的に信仰されていないようなので、カンケーなさそうだけど、ランクを九つに分けるってのは普遍的なことなのかしらね?


というわけで、おなじみのキャラが次々にいなくなっちゃって、わたくしちょっとヘコんでるんだけども、とりあえず諸葛孔明さんのご活躍をお目当てに次巻へゴーッpunchsoonsign01

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