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2015年5月

2015/05/30

フォリア 熱狂のスペイン

Img391昨年、フレンチ・バロックの佳曲を聴かせてくれたレ・ポムポムの第2回演奏会、昨晩札幌市教育文化会館小ホールに聴きに行って参りました~shoe


“フォリア”とは、イベリア半島が発祥の舞曲で、“熱狂”という意味もあるそう。スペインなので、なんとなくフラメンコみたいなものを想像していたんだけど、さすがクラシック、“奥ゆかしい熱狂”ってカンジでしたね~happy01。スペイン特有の敬虔さ、というものもあるのかも知れませんねspade


Img393_2前半は3曲。どれもバロック的なフンイキの中にスペインの香りが漂うカッコイー曲ばかりheart02。特にラストのジェミニアーニ「合奏協奏曲 コレッリのラ・フォリアによる」は、古典的な雰囲気の中、緩急がウネるtyphoonように綴られる曲で、ウットリlovelyしたりドキドキbombしたり。古楽的な奏法だと思いますが、弦のつや消し的な“ソワッ”とした(どんな音だcoldsweats01)ソフトな音色がわたくし結構スキですね~good。トゥリーナ「闘牛士の祈り」も少数精鋭でステキでしたーshine。冒頭からまさに“マタドール”ってカンジtaurus。命を懸けた闘いの日々thunderとそれだからこその静謐な祈りの時間nightと。ひとりの孤独なイケメンマタドールが脳裏に浮かびましたワcatface。1曲目のジュリアーニ「スペインのフォリアによる変奏曲」は、やっぱスペインはギターよねーッsign01な一品。竹形さんの演奏はヒジョーに端整diamondな印象でした。生真面目な性格でいらっしゃるんでしょうかconfident。しかし、ちょうどギターに反射する光線thunderで目くらまし攻撃に遭っちゃって大変デシタbearing


後半はリテレス「オペラ「四大元素」より」。第1回目にもルベルのバレエ音楽「四大元素」が取り上げられていたので、バロック時代は「四大○○」がブームだったんですねーhappy01。ルネサンス期には絵画artのモチーフにもよくなってますもんね。は、ともかく、ゲスト陣が豪華ですーーbell。お久しぶりにお目にかかります、の真貝さんと針生さん。針生さんの美声shineは既に札響定演で存知上げておりましたが、一鐵さん(何てお読みするんですかsign02)と村中さんも良かったですぅ~good。村中さんの柔らかくて包容力あるメゾ、めちゃ癒されました~spa。針生さんのドレスもキラキラがウツクシ~~shine。ウットリ~~lovely。そしてわたくしにとってはおなじみ、バリトン・中原先生smile。いつもよりちょっと固かったcatface?最後、4人での合唱は迫力あってスバラシかったです~~fuji。そして、真貝さんの流れるカスケードのようなカスタネットsign01今にも踊り出しソーでsmile。赤い蝶ネクタイもイケてましたねーgood。弦と管の対比onも面白くて、管の音がもーなんとも言えずバロックsign01ってカンジなんですよねー。フシギですねー。ってか、そういう風に奏でていらっしゃるんですよね。スゴいーーnotes。で、ちょっとザンネンだったのは、一鐵さんの譜面を持つ手が上に上がりすぎて、前の方に座っていたわたくしからは完全にお顔が隠れちゃうことが多くて、せっかくの美声が遮られがちだったってことですね。それとやっぱりオペラでは、対訳が欲しいところです。中原先生が楽しく解説してくださいましたが、歌詞はひとつひとつが大切だなぁ、と最近思ってましてconfident


前回のほわわんribbonとしたフレンチ・バロックと比べると、今回はちょっと哀愁が漂いつつも翳のある骨太なスペイン・バロックってカンジでしたねconfident。音も力強かったpunchですし、安定していたと思います。前回わたくし、文句ブーたれてしまいましたが(スミマセンsweat02)、チューニング待ちもほとんどなくて、快適に聴かせていただけましたhappy01


あと、プログラムの出演者のコメントも面白かったですね~happy02Q.あなたを熱狂させるものは?のお答えが、それぞれの“人となり”をしのばせて、ナイスな企画でしたup。思わずプッdashとなるコメントもあって。わが師匠、さすが“ふな嬢・ミナコ”ですhappy02


Nec_0005フレンチ、スペインと来て、次はどんな切り口でまた新たな発見flairをさせていただけるのか、次回の公演も楽しみにしてますーapple

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2015/05/22

「珍姫の井戸」

いや~、浅田次郎さんらしい甘いロマンの薫りが漂う作品でした~happy01。「蒼穹の昴」の続編、というよりは「外伝」的なニュアンスかな~clover


「蒼穹の昴」が終わった直後が物語の舞台で、義和団事件に端を発した動乱の最中、紫禁城の中で美貌の側室、珍姫が井戸に投げ込まれて命を落とす、という事件が発生した。誰が何のためにどんな風に、の謎を究明すべく、列強諸国のうち4国の代表が関係者の聞き取り調査を開始する…。


っていうよーな、最初からファンタジックな舞台設定になっていて、結構楽しく読ませていただきましたgood。芥川の「藪の中」スタイルなので、それぞれの立場の人間が自分の都合で話をする。これぞ、小説家の面目躍如notes。浅田さんの想像力が楽しげーに翼を広げてマスcatface


まぁ、話されている内容や言葉遣いなど、登場人物の立場なんかを考慮に入れると額面そのままに受け取っていいものかどうかちょっと迷うところではあるけど、素直に読めば、女性やコドモ、宦官などの立場的に弱い人たちへの温かな思いheart01は相変わらずジワジワと感じられますhappy01。それと、“中国”という国やその“皇帝”への、敬畏の念shineもすごく伝わって来ますねconfident。遥か昔五千年の歴史を持つ大国。まぁ、今の中国がそういう敬畏の念にバッチシ値するかどうかは別にしてsmile


多くの民族や名もなき民草の想いを圧死してきた大国の中で、懸命にそれぞれの生を全うしようとする人々へのまなざしはいつも忘れない浅田文学。わたくしはスキですheart04

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2015/05/17

ウィンドアンサンブル ドゥ・ノール 第25回定期演奏会

Img390なんかいつもと違うカンジで、フシギな気分を味わった一夜でした~night。いつもお世話になっているSさんにお誘いいただいた演奏会notes、昨晩、札幌市教育文化会館大ホールに行って参りましたshoe


吹奏楽は、ちゃんとした演奏会というのを実はこれまで聴いたことがなったので、はぁ~こーゆーカンジだったのか~flairとニューワールドを垣間見させてもらいましたワ。もちろんクラシックでもないし、かと言ってジャズのビッグバンドでもない。わたくしの中ではまだウマく消化できてないカンジ~typhoon


吹奏楽のことはわたくしほとんどわからないので、指揮兼MCの仲田守さんの解説karaokeがヒジョーにタメになりましたconfident。で、シキリに仲田さんが「世の中の流行を完全に無視して独自の路線を歩んでおります」とおっしゃっていたプログラムも、めちゃアグレッシヴdashというか、現代曲が多いようで、どれもかなり聴き応えがありましたねーbell。現代曲に慣れてきていてヨカッタ~~smile。西村朗「秘儀Ⅲ」みたいな曲は、仲田さんじゃないとあんなにビシッとまとめて明快に演奏できないんじゃないかと思うくらいshine。で、楽団の方も仲田さんにスゴい鍛えられてるthunderカンジがしますねーhappy01。しかし一方、光田健一「マイ・トレジャー」みたいなフュージョン(って今言うcoldsweats01?)系の曲では、ちょっとモッタリ感snailが気になっちゃったかな~sweat01。やっぱり本家本元のグルーヴ感waveが恋しくなる。たぶん、この楽団のレベルが高いupので余計そう思っちゃうんだと思うのよねーfuji


また、普通のオケでは使われない楽器も多数あるので、あれ?これって何の音~?ってハッflairとする瞬間も結構あって楽しかったし、なんつってもやっぱ、吹奏楽オリジナルの楽曲のスバラシさshineにもちょっとカンドーしました。いや、ほんとに作曲家ってスゴいheart02


指揮の仲田さんは、東京佼成ウィンドオーケストラで長年サックスを演奏されていた方だそうですが、なかなかにヒネリの効いたスパイシーなMCkaraokeを聞かせてくれましたsmile。楽曲ひとつひとつに解説pencilを加えてくれたり、作曲家のエピソードなんかも紹介してくれて、ちょっとしたレクチャーコンサートのようschool。吹奏楽部らしい生徒さんたちもたくさんいましたもんね。いや、わたくしも勉強させていただきましたhappy01


というわけで、いろいろ感じるところがあった吹奏楽演奏会でしたが、なんせ大音量impactと熱演sunのわりに拍手が小さいのが(それとも相対的に小さく聞こえるのかcoldsweats01?)、ホントーに残念weep。野球場で使うようなスティックバルーンが必要だワーbombimpact

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2015/05/13

「戦争プロパガンダ10の法則」

なんだか暗澹とした気分…typhoon。またもや無力感に苛まれる…sad。歴史学者で、ブリュッセル自由大学批評学教授であるアンヌ・モレリ氏著book。歴史批評を近代メディアに適用し、世論を特定の方向に誘導するからくりを体系的に分析してきた人だそう。


最近の日本では、“こども総理大臣”のおかげでキナ臭い悪臭が漂ってきて、全くヒトゴトではないカンジになってきたので、この本を手に取ってみました。メディアというものがほとんど信用のおけないものだということはわかってはいたけれど、これまで“哲学の国”だと思っていたドイツやフランス、“紳士の国”イギリスでさえも戦時にはデマを垂れ流し、戦争継続へ国民を向かわせる、およそ非理性的反知性的な役割を積極的にメディアが担っていた、ということを知り愕然としましたよsweat02


で、これまで繰り返されてきた歴史が証明している、「戦争プロパガンダ10の法則」とは。


①「われわれは戦争をしたくはない」~第1次&第2次世界大戦開戦前の各国元首の言葉を例にとり、平和のために努力していると声高に言っていると筆者は書く。『すべての国家元首が、すべての政府が、こうした平和への意志を積極的に口にするとなれば、それでもときには、いや、かなりの頻度で戦争が起こってしまうのはなぜだろう、という素朴な疑問が、当然のことながらわきあがってくる。』日本の“こども総理大臣”も、やたら“積極的平和主義”なるものを連呼していますね。


②「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」~ここでも同様に過去の例を引き合いに、『われわれは「いやいやながら」戦争をせざるをえない。というのも「敵国」が先に仕掛けてきたからであり、われわれは「やむをえず」、「正当防衛」もしくは国際的な「協力関係」にもとづいて参戦することになったのである…。』はい、日本の“こども総理大臣”は決定しました、すなわち“集団的自衛権”の行使を。アメリカさんとの協力関係にもとづいて参戦します、と。


③「敵の指導者は悪魔のような人間だ」~アメリカさんがよくやる手。『たとえ敵対状態にあっても、一群の人間全体を憎むことは不可能である。そこで、相手国の指導者に敵対心を集中させることが戦略の要になる。敵にひとつの「顔」を与え、その醜さを強調するのだ。』『たしかに、こうした敵に人物像が正しい場合もある。だが、こうした敵の「怪物」も戦争前は歓待されていた人物だったというのはよくある話であり、勝敗が明確になった後は、再び高い評価を得ることもあるのを見落としてはならない。あらゆる方面から物事は見られるべきである、ってことですね。“これしかない”ってことはないわけです。


④「われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う」~これって分り易す過ぎだわよね~smile。国民をバカにしてんのかッsign02なカンジ。『多くの場合、経済効果を伴う、地勢的な征服欲があってこそ、戦争が起こる。だが、こうした戦争の目的は国民には公表されない。』でも今の日本では、あからさまに“経済最優先”だから、さすがにこれを真に受ける日本人はそんなにはいないでしょう。『フランス人ジャーナリスト、カヴァンナが美的に表現したとおり、「弾薬の商人がノルマを達成し、セメント商人がそろそろ自分の出番だと思いはじめる頃に」戦争は終わるのだ。』いまや日本も武器輸出が出来る国になったし。


⑤「われわれも誤って犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる」~ここでも、あらゆる方面から物事は見られるべきだってことに思いを致さねばなりませんね。『ここでいうプロパガンダによくみられる現象とは、敵側だけが、こうした残虐行為をおこなっており、自国の軍隊は、国民のために、さらには他国の民衆を救うために活動しており、国民から愛される軍隊であると信じ込ませようとすることだ。』これって、ISISの例でも考えさせられることです。テレビで見せられていることが“全て”なのか?『どの参戦国にとっても、戦争の根源は暴力であることには変わりはない。人間的で穏便な戦争など絵空事でしかない。戦争に人間味を求めても無駄である。戦争プロパガンダの主張とは裏腹に、戦争が暴力である以上、フェアであるか否かを問うのは無理なことだ。』反知性的世界。


⑥「敵は卑怯な兵器や戦略を用いている」~『必死に戦っているのに、勝利の可能性が感じられず、新兵器をもっていないぶん自分たちのほうが不利だということに気づく。自分たちが使えない兵器を、敵が一方的に攻撃に用いるのは卑怯だと思う。かくして、自国がおこなうときには合法的かつ巧妙な戦略として有効な「奇襲」も、敵陣が仕掛けてくれば卑怯な行為と非難する。』もはや笑える域に達してると思うけど、日本の太平洋戦争末期はこんなカンジだったんだろうなぁ。


⑦「われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大」~もう憐憫の情しか浮かんで来ない…。


⑧「芸術家や知識人も正義の戦いを支持している」~メディア以上に罪は重いかも。戦争プロパガンダには、カミーユ・サンサーンスやドビュッシーも加担したようだ。筆者は問う。『戦意高揚のために芸術家、知識人、文化人が駆り出されるとなると、二つの疑問がうかぶ。ひとつは、知性、才能とは何かという疑問であり、もうひとつは、なぜ彼らがその精神を、その筆を、戦争プロパガンダに提供したのかという疑問だ。』これについての明確な解答はない。ただ『ナチによる欧州各国への侵攻が始まると、ファシズム支持の知識人や芸術家以外には活動の自由が与えられなくなり、反ファシズムを信条とする文化人たちは、亡命や沈黙を余儀なくされた。』と書かれている。


⑨「われわれの大義は神聖なものである」~これは無宗教のヒトが多い日本にはあんまり関係ないかな~と思ったけど、次の一文を読んだとき、なんかいやーなカンジがしたのよねー。『中世、聖トマス・アクィナス(1225-74、スコラ哲学の完成者)は、「倫理的に許される戦争」の条件を次のように定めた―「正当な理由があり」「正式な政府が」決定し、「他に選択肢がなく」「害をもたらす悪に釣り合った規模の」戦争であること。その後、キリスト教国の元首たちは、戦争を始めるに際し、この条件を満たしていることをよりどころとするようになった。』もしかして、日本の“こども総理大臣”もこれを基準にしてるのか?


⑩「この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である」~はぁ、これが一番悩ましいモンダイなのよね。もし戦争になったら、わたくし、コレに該当しちゃうもん。『これまで述べたように、戦争が始まると、もう誰も、公然と戦う理由を尋ねたり、本来の意味を「ねじまげる」ことなく和平を口にしたりすることはできなくなる。メディアは政治権力と密着した関係にあり、いざとなると本当の意味での意見の多様性を守ることはできないのである。もちろん欧州の各国の憲法では、言論の自由が保障されており、これは戦時でも変わりない。だが、現実として、自由な発言を続けることはかくも難しいのだ。戦時には、政府に対する批判をさし控えるというのが暗黙の了解なのである。神聖なる団結という概念は今も有効なのである。だが、戦時に政府が判断を誤った場合、多大な損害が生じることになる。だから、本当は戦時にこそ、政府の誤った決定を正せるように、言論の自由が保障されるべきなのだ。』今の日本では、既に自由にモノを言うことが出来なくなりつつあるようで。


わたくしが今危機感を覚えるのは、この、ほとんど言論統制に近い日本のメディア状況なのよ。『戦争を開始し、さらに続行するためには国民の同意が必要だ。国民を説得し、同意を得るための手法は、どんどん巧妙になってゆく。一部の人間の考えに反し、ひとたび戦争が始まると、メディアは批判能力を失う。たとえ、「民主主義国家」でも、情報および映像の製作、放送に関しては画一化が著しく、政府の意図に反する映像、反対する意見はマスコミにもとりあげられない。


そして以上を受けて、筆者は最後に言う。『多くの場合、人々は、敵陣に懐疑主義があるのを喜び、自分の陣営ではそれを歓迎しない。だが、超批判主義を通せば―たとえ、否定主義のような嘆かわしい愚行さに行き着こうが―良心を殺すこともない。行き過ぎた懐疑主義が危険であるとて、盲目的な信頼に比べれば、悲劇的な結果につながる可能性は低いと私は考える。メディアが日常的にわれわれを取り囲み、ひとたび国際紛争や、イデオロギーの対立、社会的な対立が起こると、戦いに賛同させようと家庭のなかまで迫ってくる。こうした毒に対しては、とりあえず何もかも疑ってみるのが一番だろう。』なんと大げさな、と思うけれど、でも戦争を知らないわたくしには未知の世界であって、戦時とは、これほどまでに過酷なものなんだろうと想像する。


どう考えてみても、わざわざ挑発的な文言を繰り返すことによって戦争をしたがってるとしか思えない“こども総理大臣”がいる限り、今現在、日本が戦争に巻き込まれる可能性が戦後最大になってるわけなので、わたくしもいろいろ考えておかなければならないなぁと。この本を読んでみて、やっぱりな…な思いは強化されましたよ。はぁ~dash


いや、それにしても、戦争や紛争のベースにあるヨーロッパの政治的、宗教的、民族的な問題は、日本のメディアに接する限りでは全くわからない複雑なものなのだってことを突きつけられました。アメリカの言ってることを聞いてるだけでもダメだわね。やはりこのテのものはヨーロッパの著作物にも触れなくては、デス。

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2015/05/10

「モダン・タイムス」

うー、なんだかテーマをはっきり打ち出しすぎて興ザメだったなぁ~bearing。伊坂幸太郎氏著book


同じテーマでも「ゴールデン・スランバー」は、よりエンターテインメント性が高くて、読後心臓バクバクheart02が落着いた頃にジックリ考えを巡らすflairってカンジだったんだけど、こちらはテーマそのものが文章になって語られちゃってて、わたくしいつも思うんだけど、それを小説でやるのはヤボってもんでしょうdown


なので、いつもの伊坂テイストで、主人公渡辺の友人小説家・井坂や妻・佳代子さん、先輩・五反田さんの超絶キャラhappy02や洒落た会話notesには楽しませてもらったけど、全体としてはNGng。特に、メディアリテラシーを含む、情報の読み解きに関する意識の有無の問題は常識だと思うけれど、最近の若い人たちには理解されてないんですかねーtyphoon


システム化された社会の有り様と、登場人物たちのそれへの最終的な対処の仕方も想定の範囲内だしなぁgawk。政治的な内容でそこまで作家に要求するのはやっぱムリかdespair

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