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2015/06/19

観喜能

Img397札幌でこれほど本格的な能が観られるとは思ってなかったので嬉しかったんだけど、後ろの席のババァどものおしゃべり(トイレは黙って行けよannoy)&騒音(舞の最中にパンフレットバッサバッサannoy)が酷くて、イマイチ没頭できなかったwobbly。演目的にはそうシリアスなものじゃなかったからまだしも、そうじゃなかったらブッコロスthundersign01なカンジangry。能は「幽玄」の世界だからね。その精神すら理解してないヤツは観る資格ナシでしょdown。ってゆーか、そんなの観劇のキホンのキでしょーが。ったくもーangrydash。演目は観世流による「三輪」と大蔵流狂言「魚説教」、喜多流による「小鍛冶 白頭」。おとといの晩、札幌市教育文化会館大ホールでのことでございました。



それはともかく、やっぱり能、面白いcatface視覚的な美しさshine聴覚的な盛り上がりnotesが一緒くたになってやってくるクライマックスimpactは単純にアドレナリン全開でドキドキしちゃうーheart04。でもやっぱり謡曲のコトバが聞き取れればより楽しめるんだろうなぁ。次回観る機会があったら謡本bookをゲットした方がいいかしら?



Img398昼のレクチャーpencilでも2流儀の違いを示してくれたけど、本番の曲ではそれぞれ、得意とするもの、特徴がよく現れたものが選ばれたようで、シロートのわたくしにもその違いがよくわかりましたconfident。どちらも神さまをテーマとしたものだったけど、「三輪」はシテさんの少ない動きの中に、高密度の緊張感diamondがミッシリと感じられるもの。ほんとに能楽師さんの佇まいには計り知れない表現力があるものですねぇconfident。面(おもて)とも相まって、能は観る者の意識が如実に反映される芸能なのだと改めて実感。よく考えるとスゴい高度な芸能ですよねぇ。片山さんは声も美しくてshine、今回初めて能楽師の“”って大事なものなんだと気づきました。三輪の神様の化身に相応しい麗しくもたおやかなお声cute。衣裳ももちろんスバラシいんだけども、扇や鬘帯なんかとの色合わせがまた激美shineshine。鮮やかなオレンジ色にヤラレました。“オレンジ色”ぢゃないと思うケドsweat01



一方喜多流の「小鍛冶 白頭」。武家に贔屓された流儀らしく実に豪快impactな演目でした。はっきり言って歌舞伎的。動きもダイナミックthunderで、喜多流でしか行われないという「狐足」が、むちゃくちゃカワユイ~catface即物的に写実的な動きが、新しい流儀だということを感じさせますね。後シテさんの白銀の衣裳も、目を奪われるキラビヤかさッshinesign01織による地模様が美しすぎるッhappy02sign01前シテさんの少年もほんとに少年だし、特におみ足の運び方がキュートでchick。こちらの喜多流のシテさんたちも、“らしい”良いお声でした~~heart01



で、今回、正面席で観てたんだけど、音楽好きのわたくしにとっては、後ろの囃方さんnotesたちが主役crown。特に笛方の竹市学さん、ツボだったワ~catface。お昼のレクチャーの時はニコニコなシャイお兄さんってカンジだったのが、本番では目を閉じてちょっとニヒルな口元がイカスーッsign01きゃーッhappy02sign01なカンジになるわけですよ。で、気合一発impact息を吹き込むdash。ステキ…lovely。謡はイマイチよくわかんないけど、このパーカス隊はごっつカッコええbell。あの独特の掛け声も、能の緊張感を生み出す欠くことあた(能)うべからざる、の演出ですねfuji



お昼のレクチャーとの違いといえば、観世流のシテ方田茂井さんが後見としてついていらしたんだけど、ふと目にはいったら、ものすごーいキビしいthunderお顔で片山さんを見つめていらして、がー、さすがsign01と思ってしまった。チョー真剣spade。カッコイイheart04。プロフィールを拝見するとみなさん、だいたい40代半ばまでくらいのお若い方々ばかりなんですけど、ほんと、芸に臨む姿勢のご立派なことfuji


これまで屋内の能は1度しかみたことがなかったんだけど、それが大阪にある、もうちょっと場所がどこだったかも覚えてないけど、とにかく照明が蛍光灯でシラジラとしていたのに、わたくしのココロもシラジラとしてしまい、能はやっぱだナ、などとナマイキなことを思っていましたcoldsweats01。が、教文会館では舞台用の明るい黄色の照明flairだったので、ヒジョーに快適でしたclover。救急車のサイレンやムシの代わりに別の障害があったけどdowndowngawk。“芸術都市”とか謳うのならば、観劇マナー教育をシッカリすべし、だと思いますが。

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コメント

謡本を入手した方がよろしいか、それは好き好きではありますけれども、よろしくない意見をご承知おきください。

今は、謡と仕舞の素人弟子が観客の中心ですから、これ見よがしに謡本を見せびらかしている人もいます。
この手の人種を首本党(くびほんとう)と言います。
素人弟子が会場で大きな顔をしているために、演劇の一ジャンルとして鑑賞しようとする人たちを遠ざけています。
芥川龍之介の観能随筆に、たしか桜間伴馬だったか桜間弓川だったか、とにかく芥川の時代の名人ですが、その至芸を絶賛して、最後に「それにしても、この素晴らしい舞台を見ている人は誰もいなかった。皆が皆、膝の上の謡本に目を落とし、舞台上の美には目もくれないのであった」という内容です。もちろん正確に写してはいませんが、大意はこの通りです。

謡本を見る素人弟子の真似はおよしなさい。

能を理解するには謡を習うことだと思い込み、素人弟子は自慢として人にすすめ、玄人の能楽師も月謝が収入源で、生活の資は舞台のギャラではありませんから、みんなして謡を習うことを勧めます。
ところが私は、謡の稽古をしているばっかりに能が見えなくなってしまっている人を、たくさん見ています。
習うのはいいことです。
ただしそれで能がわかるわけではありません。
素人弟子仲間の水準で玄人の謡を理解するようになるだけです。
師匠の芸を最高到達点と見て本当の能への眼がふさがれるだけです。
自分の稽古でできることできないことが、美の受容の限界になるだけです。
謡本を持って観能するのは、そういう道に近づくことです。

投稿: 太郎冠者 | 2015/12/01 15時07分

太郎冠者さまhappy01

非常に含蓄のあるコメント、大変嬉しく拝見しました。ありがとうございますconfident

太郎冠者さんのおっしゃること、私にも身に覚えがあります。大阪に住んでいた頃文楽を見始めたのですが、義太夫が全く聞き取れず、当時プログラムに挟まれていた「床本」ばかり見て、肝心の舞台をよく観ていませんでした。今から思うととてももったいないことをしていたなぁと思いますsad

ただ私の場合、どちらかというと「予習」したうえで観たいというタイプなので、あらすじや内容はもちろん、それを「どんな言葉で語っているのか」を知りたくなってしまうのです。昔の語りなので、きちんと理解は出来ないでしょうが、「原語」に触れる意味は少しはあると思っています。

なので文楽の時の反省から、舞台を観ながら「謡本」を見るという愚は犯すつもりはありませんcoldsweats01

私は絵画などを観るのも好きなので、よく展覧会に行きますが、「今そこにある作品」より、解説パネルを見てる時間の方が圧倒的に長い人をよく見かけます。それと同じですよねsmile

それにしても、能の世界にお詳しい太郎冠者さんの書かれる「お師匠さん&お弟子さん事情」、興味深く読ませていただきました。

投稿: かまど姫 | 2015/12/01 23時49分

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