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2015/09/02

「それでも日本人は原発を選んだ」

むぅ~pout、原発関係の本を読むと、なんでこー脱力状態になるかなーtyphoon。2014年2月刊行の原発本book。朝日新聞取材班著pen。サブタイトル「東海村と原子力ムラの半世紀」。


事故が起こってすぐに開沼博氏の著作を読んでいたので、原発が日本に導入された経緯は知ってはいたけど、さすが朝日新聞、読売憎しのすさまじいまでの正力バッシングimpactimpact。まぁ、わたくし的には愉快だったけどsmile。このあたりは開沼さん、マイルドに書かれてますねwink。特に、日本に全く初めて原子力関連施設を上陸させるためには、正力松太郎の剥き出しの欲望がなきゃなんなかったわけだけども、まぁその書き方がスゴいのなんのcoldsweats01。諸悪の根源bomb


日本最初の原子力研究施設が東海村に出来たときの経緯が書かれている本なんだけど、当時は、まともな研究者たちはアメリカやイギリスから技術や設備を輸入することには反対してたんですねぇ。安全基準についても、推進側の誠意のなさに憤り、議論を尽くすべきだと主張する研究者もたくさんいた。しかしアメリカと背後でくっついてた正力がムリクリごり押しpunchdashした、と。政治が国内の基礎研究を阻んだ。何事も急ぐとロクなことにはならないわけでng


日本で初めて原発関係の予算yenをムリヤリねじ込んだ中曽根康弘。ヤス。存命の当事者はもうそれほどいない中、貴重な生き証人だと思うけど、なぜ突然原発予算を計上させようとしたのか、ご本人から何も聞けてませんね。事故後も、原発については推進すべきだと言ってるそうだけど、もし事故が自分の地盤で起こってても、同じことを言えるんだろうか。なんせ、地元高崎市も候補地として誘致合戦に参戦してたわけだから。


原発の研究施設が東海村に建てられることが決まったとき、茨城大学schoolの経済研究会が村内で意識調査を実施してたんですね。『茨城大経済研究会が1956年7月に実施した村民意識調査は、配布857に対して回収780、回収率89.14%と、原子力への村民の高い関心を示した。七つの設問のうち最初の二つは、原子力と原子力研究所に対する受け止め方を尋ねた。「原子力とはどういうことか知っていますか」回答は、「いくらか知っている」52.4%、「良く知っている」6.3%。「ほとんど知らない」22.5%で、「全然知らない」18.8%だった。「村に原子力研究所が出来ることをどう思いますか」結果は、村民の七割近くが原研誘致を容認していた。だが、明確な「賛成」は34.8%で、「決まってしまったから仕方がない」がほぼ同数の32.1%だった。「反対」も12.9%おり、他は「どちらでも良い」11.8%、「わからない」8.4%だった。反対の理由は「自分の生活に好ましくない」52.4%、「放射能の危険」31.4%、「日本に必要ない」が9.4%などだった。(中略)また調査では、村民の七割が放射能の危険を認識していることがわかった。「原子力研究所が出来た場合、放射能その他の危険があると思いますか」回答は「少しはあると思う」53.2%、「あると思う」20.9%、「全然ないと思う」4%。「わからない」21.9%。(中略)研究会は、村民の放射能への意識を、次のようにまとめた。「実際に原研ができて活動を始めても放射能等の害はないと新聞、映画等でよく説明されるのであるが、(略)いくら放射能などの影響はないと新聞、ラジオで説明されようとも、現在のところ村民の四分の三は多かれすくなかれ放射能の危険があるものと考えている』。昔は今のようにいろんなルートで情報を取ることも出来ないし、まだまだ素朴な人たちだから、わけがわからないうちに原研&原発を受け入れさせられたんだろーなー、なんてなんとなーく思ってたけど、そんなことなかったのにちょっとビックリcoldsweats02、ってゆーか、生活者としての正しい勘ってなかなか侮れないものなのね、なんて感心したりなんかしてconfident。逆に、原発事故から4年経った今現在の日本人の意識こそ、この頃よりレベル低下downしてるんじゃなかろーか。


もちろん、当時のまるで「原発まつり」eventの様相を呈している新聞各社の様子もきちんと書かれてます。朝日新聞もご他聞にもれず。読売新聞は正力新聞だし。地元紙の茨城新聞の変節もすさまじいshock。原発導入推進サイドによる搦め手に篭絡された社長自らが書く記事は、やっぱりここでもメディアの欺瞞ぶりをはっきり示しているのよね。


そんななか、ちょっとイイ話もあるのよ。当時、初の商業用原発誘致にからんで、東海村のすぐ近くの水戸射爆場が危険視されたにも関わらずアッサリ「大丈夫」okと推進側が言って東海村に建設されることになった。しかし、その射爆場で核爆弾の模擬弾投下訓練が行われていた事実を明るみに出したのが、東奥日報の斉藤光政記者diamond。1997年ごろからアメリカの情報公開制度を使って機密文書を入手して、23000枚にのぼるコマンド・ヒストリー(基地史)の文書の中にそれを発見flairしたそうです。彼は、地元三沢基地と六ヶ所村との危険性を検証する作業をしていてそれを見つけたらしい。地方紙でも、こうやって緻密な仕事をしている記者さんもいるわけです。スバラシい~shine


それにしても、原発導入推進サイドの、安全面に関する非論理的な楽観視は何なんでしょうねぇsweat02。ほんとーに頭が悪いのか、立地住民をナメ切ってるのか。もー、びっくりするgawk


事故が起こった後ではもう何を言ってみても始まらないけれど、東海村がある茨城県の当時の友末知事が、建設が確定的となった際に言った言葉『本県を他府県の「植民地」にしてはならない』も、なんとも皮肉に響きますね…weep


さて、わたくしこの本の中で一番印象に残ったのは次の部分。『過酷な自然災害とともに生きてきた日本人には、まるで世界に対するある態度が文化的DNAとして受け継がれてきたかのように語られる。地震や津波や洪水ですべてを失っても「自然に逆らっても仕方ない」と受け入れ、何度も立ち上がってきた民族なのだと。「無常」が「日本人の精神性に強く焼き付けられ、民族的メンタリティーとして、古代からほとんど変わることなく引き継がれてき」た(村上春樹氏のカタルーニャ国際賞授賞式でのスピーチ)というのは真実かもしれないが、宿命論の陥穽でもある。しかも、日本人のこうした態度は「自然」に対してだけ取られてきたわけではない。改元で過去を切断しながら時にはカタルシスすら願望し、楽観主義ともニヒリズムとも諦観とも悟りとも言える境地で眼前の現実を受容する。この集団的忘却は、あの戦争のあとでさえ取られたのではなかったか。「過ぎたことを振り返らない」は時として前を向くために必要ではあるかもしれない。しかし、人知もまるで自然現象のように受け入れる姿勢は、なにを残してきたのか、である。』まったく、そのとーりなんだわー…think。はぁ~、虚しい…despairempty


ヒトはもっと、理知的に生きられないものかしら…despair

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