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2015/12/16

「三國志 第十一巻」

宮城谷昌光氏著、ラスト2ッscissorssign01


ここでも曹魏における、曹爽と司馬懿の主導権争いimpactが続いてるんだけど、もー圧倒的に司馬懿優位ッcrownsign01曹爽ってば庶民にまで「ありゃ、ダメだdown」と言われる始末。『政治は大胆さと細心さをあわせもった者が、時にめぐまれると、善政を実現することができる。凡庸な為政者でも、努力をおこたらなければ、過誤をおかさないですむ。ところが、曹爽は努力家ではない、上下への目くばりも粗雑で、時態を視る目が眜(くら)い。「臨機応変」これが必要なのは戦場だけではない。為政の場でも必要なのである。たしかに政治には理想があってもよいが、それが強すぎると失敗する。』こういう文章を読むと、やっぱり現代の日本の政治家を思わずにいられないわよねーthink


さてここで、諸葛亮亡き後の蜀の様子が描かれます。劉禅も、お父さん同様、オチョクラレてマスsmile。『四十歳になるまで為政に関心をもたなかったこと自体が異常である。もちろん劉禅の父の劉備が臨終のときに、劉禅の弟の劉永に、「われが亡くなったあと、なんじら兄弟は、丞相(諸葛亮)を父とおもって仕えよ」と、いったことが、劉禅にも磐石の遺言になったであろう。が、劉備はふたりの子に、政治に関心をもってはならぬ、といったわけではない。諸葛亮と蒋琬が非凡な執政であったがゆえに、劉禅は皇帝としてよけいな口だしをしなかったのであれば、むしろ劉禅の賢明さをたたえるべきであろう。しかし、そうであれば、劉禅の美質をかいまみさせてくれる逸話があってよさそうなのに、そういうものは皆無である。』“皆無”だよ、“皆無”…sweat02。いやーやっぱ宮城谷さんの、劉族を語る口調、タノシそーだわねーcatface。慈愛を感じるワーsmile


一方、魏では亡くなった司馬懿の息子たちの活躍が始まり、呉では後継者問題から衰退の兆候が現れ始めるのね。諸葛亮の甥にあたる呉の諸葛恪と魏の司馬昭が戦いthunder、魏が敗れた後に両者の違いが際立つわけです。当時大将軍だった兄の司馬師は、戦いの責任者である弟の司馬昭の爵位を削ったために、朝臣の信頼を得た一方、勝った諸葛恪はそのまま追撃するのをやめたのを悔やむ。『諸葛恪の知慧とは、そういうものであり、勝つということは知慧を育てない、ともいえる。』諸葛恪は、翌年、すぐに出師したいというが反対する者が多かった。『(反対意見を)我慢してきいていた諸葛恪であったが、ついに嚇と怒り、「その者を、つまみだせ」と、命じ、蒋延を朝廷の外へつれださせた。この諸葛恪の怒色が朝廷の議論を冷えさせた。----つまみだされたくなかったら、わが提案に賛成せよ。と、諸葛恪は朝臣たちを恫したことになる。それをながめていた孫峻は、--太傅のいやなところは、そこだな。と、感じた。すぐれた為政者は、国が大事にかかわる議論が尽きるのを待って決断するものである。だが、諸葛恪は立てた計画を批判するものを宥さず、その実行を諌止する者をしりぞけてしまう。まさに諸葛恪は、独断専行の人である。』あー、これって、「諸葛恪」を「安倍○三」と入れ替え可能ねok。プッdashsign01


最後に、勇気付けられる一文。鄧艾が、貧しさの中から立身出世を果たした人であるということを紹介する中で。『人はいつ僥倖に遭うかわからず、天祐はいつくだるかわからない。そのときになってはじめては、まにあわないことがあり、それこそ人生の要所であり、分岐点になりうる。人の価値は、何も起こらない時間、平凡な時間を、どのようにすごすかによって決まる。


てなことで、やっぱり現代のアナロジーとして読んでも楽しい宮城谷版「三國志」ですshine。さあ、ラス1、行きますよーangrypunchdashsign01

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