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2016/01/31

第三回 偲ぶ日の講演会 壬生義士伝 吉村貫一郎を偲んで

Img443きゃー、ナマ浅田次郎さんーーhappy02sign01面白かったーーhappy02sign03昨日のお昼、六花亭「きたこぶしホール」で行われた浅田次郎さんの講演会karaoke、聴いて参りましたshoe


「壬生義士伝」の吉村貫一郎についての話のはずが、まぁ名前が新撰組の役職者名簿に載ってるってゆー程度のヒトなので、どんなふうにこの作品を書いたのか、作家としてのイマジネーションの働かせ方の一端を、おもしろおかしく軽妙にお話してくれましたhappy01


下書きとなった作品を書いたのは、浅田さんが28歳の時で全く無名の時代の頃。戊辰戦争から60年経った昭和3年に「幕末ブーム」が起きて、子母澤寛の新撰組三部作が大ヒット。その中にほんの少しだけ描かれていた吉村貫一郎のエピソードに興味を引かれ小説化したいと思ったそう。この時出版社に持ち込んだけれど、ボツdespair。そのままお蔵入り。その後、直木賞を受賞crownしたとたん執筆依頼が殺到して、1年後、2年後の約束をさせられるんだけど、とにかく目の前の仕事をこなすだけで精一杯sweat01、『来年の約束は来世の約束』と思えるくらい大変だったそうです。そういえばこのあたりエッセーに書かれていたのを読んだことあったワ~book。しかし、生きている以上約束の日はやってくるsmile。あー、どーしよーwobbly。文春での連載は決まってる。『文春→「燃えよ剣」→司馬遼太郎→新撰組→ん?なんか昔書いたような………』ハッflairsign01柳行李をひっくり返してみたらあったっflairsign01読んでみたsign01面白いじゃんsign03直木賞作家である今や、取材行きたーいといえば速攻手配してくれ、なんか食いたーいといえば食わしてくれ、新幹線もグリーンに座らしてくれ、という身分になってたので、28歳の頃テキトーに書いてた盛岡の風景も実際に取材できた、なんてあたり、もー爆笑の連続impacthappy02


で、わたくしがこの作品でヤラれた一番の要因である「方言」についての部分も興味深かったワ~confident。別に共通語でもいいっちゃよかったんだけど、やっぱり方言を使いたかった。だけど、幕末の南部の下級武士が使ってた言葉なんてまったく見当もつかなかった。しかーしsign01盛岡に行くと、そういうことを研究している郷土史家が必ずいるsearch。その方々の力を借りて、毎週毎週FAXfaxtoでやりとりrecycleをして監修していただいたそうです。はぁぁ~~dash。そーだったのねーconfident。どーりでわたくし号泣cryingcrying。で、この方言というものに対する浅田さんの考えもなるほどなーってカンジでflair。『方言が滅びると気性も滅びる』。東京ご出身の浅田さんも子供の頃は「きったない東京弁」を使っていたけれどcoldsweats01、矯正させられたそうな。そのことによって東京人がどーなったか。『カッコ悪くなった』『潔くなくなった』。なるほどねーthink。やっぱり、「言葉」というものはそれを使う人間の根本を司るものよねーdiamond。戦争にまつわる「言語」の問題なんかもふと考えさせられるワthink


それからもひとつわたくし、浅田作品でいつもヤラれる「こどもの描写chick。これについても、秘密の一端をお話されましたhappy01。お嬢さんがいらっしゃるので、おみっちゃんの「とど、とど」を書きながら、浅田さんの耳には「パパ、パパ」と聞こえていたとconfident。で、吉村貫一郎には3人の子供がいる設定にして、この3人の子供の行く末は本当に考えた、とおっしゃってましたspade。父親が悲惨な最期を遂げたので、その子供たちには幸せになってほしかったと。特に次男くん。めちゃくちゃ悩んだbearing。法律家にしようかと思ったけど、なーんかシックリこないtyphoon。と、たまたま競馬horseをしに新潟に行った時、地元の豪農の屋敷を見かけ(現在は北方文化博物館になっている建物)、これだflairsign01と閃いたそう。いやーもー、この次男くんの人物設定、お見事happy02shinesign01と感服してたのに、こんなキッカケだったとは…wobbly


さて、吉村さんがビンボーだったという根拠が、藩からのお給料が「二駄二人扶持」ってこと。浅田さんの試算によると年収約250万円。5人家族ならもーカツカツ。ちなみに大野さんちは2000万円yen。はぁ…dash。この「扶持」の説明もしてくれて、そこから発明されたのが「飯盒」らしく、このあたり、浅田さん、めちゃ熱心に「飯盒」のスバラシさを語ってらっしゃいましたが、わたくしチンプンカンプン…typhoon。しかし、この「二駄」が盆暮れ年2回の賞与、「二人扶持」というのが月給、とすると現在の日本の給与体系の元となっているというお話に、目からウロコ~~coldsweats02


やはり何といっても、新撰組マニアの浅田さん、幕末の道場事情(一番人気の北辰一刀流の授業料が年間40万円だったsign01)や鍛冶職人の技術(急に需要が増えたため技術も急激に向上したupsign01)とかトリビアな話題を次から次ぎへと繰り出して、ほんと『池上さんに負けてないsmile


でもわたくし、いっちばん印象に残ったのは、新撰組局長・近藤さんのエピソード。面白かった~~happy02。すごく実直だった近藤さん、どーしよーもない養父にも「おとうさん、おとうさん」と慕って、全然流行らない天然理心流の道場を、牛込(今でもあんまりいい場所じゃないsmile)から多摩なんかの遠い地方まで出稽古して稼いで維持してたんだけど、ある日突然グレたthunder。幕府お抱えの道場の師範に、とーぜん選ばれると思っていたのに、選ばれなかったからweep。ここで彼は「百姓だから出世できないんだっsign01」と怒り狂ったannoy。浅田さんは、この言葉が近藤さんのその後の「池田屋騒動」に繋がるキーワードだとおっしゃいます。


で、当時はジャーナリズムが盛んで、事件現場thunderに瓦版の記者が駆けつけていたそうで、きっと「池田屋騒動」の時もそうだっただろうとsmile。志士を大勢切り殺して、血だらけになって降りて来た近藤さんの元に記者が押し掛けて来て「感想をpen」なんて聞かれてkaraoke、「拙者は何人、沖田は何人、我ら天然理心流がッimpactsign01」なんて答えただろうとdash。幕府に抱えられなかった強烈な劣等感が、生粋の天然理心流の剣士である自分と沖田の存在をアピールしたいimpactという渇望に繋がったのではないかとおっしゃってました。だって、めちゃ腕のたつ永倉とかは階下で待機なんて絶対不自然だとbearing。万一自分と沖田が殺されても、あとは土方が何とかしてくれるだろう、とまで考えていたとすれば、近藤さんのこの必死さも何ともいえず切ないものがあるわねweep。この近藤さんの痛烈な思いは、実は吉村貫一郎にも通するもので「壬生義士伝」のテーマだと思うのよねthink


そして最後のまとめは、実は幕末はほんの140~150年ほど前のことに過ぎず、現在に繋がっているものがたくさんあり、物心両面で変えていってはいけないものがある、ということをよく考えて欲しい、というものでした。手足のないロボット(スマホに代表されるもの)に支配されないよう、自分の頭でよく考えることが必要だと。全くそのとーりですねぇthink


蛇足ながら、今わたくし激ハマリしている朝ドラtv「あさがきた」にからめた話も飛び出して、またもや勉強になっちゃったーhappy02。日本語訳の「銀行」は、大阪経済人の五代さんが訳したからだと。関西の通貨は「銀」だったから。渋沢さんが訳してたら「金行」ね。ちなみに「行」は中国語で「会社」だそう。わたくし、両替屋の仕組みも各藩の蔵屋敷がなんで大阪にあったのかも知らなかったんだけど、昨日の浅田さんのお話でよーくわかりましたup。いやー、ほんとにいろんなものが繋がるつながるーーsign05。たのしぃ~~note


初めて聞いた浅田さんの講演karaoke、あっちこちに脱線するけどcoldsweats01、語り口も絶妙でほんとツボをビシッと押さえてる。サスガですfuji。冒頭、子母澤さんの作品book、ご自身で「パクった」と言われたsmile吉村貫一郎の一節を朗読してくれたんだけど、その読み方もとってもよくってgood、将来、朗読ボランティアでもする時の参考にさせていただこぉーっとsmile

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