「獣の奏者」1~4巻
まさしくハイ・ファンタジーの王道ウワサには聞いていた
上橋菜穂子さん
、初めてその作品を読んでみたらば、そのガッチリと緻密
に構成された世界観に感服いたしましたー
。
テーマは、人間とその他の生き物との関係、人間の欲望、戦争などなど。優れたファンタジーは現代を生きるわたくしたちにも、考えるための多くの示唆を与えてくれるものです
。
物語の最初は、雨降る深夜に、主人公エリンのお母さんが、獣ノ医術師として「闘蛇」の様子を診に行き、家にそっと戻ってくるシーンから始まる。雨の夜、この、圧倒的に暗くて、冷たく湿った感じからの幕開きがなんともわたくし好み
で、すでに最初からガチッ
と掴まれてたのよねー
。
エリンのお母さんが、闘蛇衆の獣ノ医術師として失策を犯してしまった罰で、「闘蛇」に食い殺されてしまうシーンや、エリンちゃんが育てた王獣リランが初めて闘蛇と闘う
シーン、ラストのガチバトル
など、大人が読んでも震え上がるほどの残酷で恐ろしい情景なんだけど
、上橋さんの筆致は、実に平易で激しいところがない。子供でも読める易しい、穏やかな教養を感じさせる文章でありながら、この戦慄すべき場面
をものすごい迫力で脳裏に喚起させる作家には、わたくしこれまで出会ったことがない
本当にビックリだワー
。
取った人間に決して懐くことがない王獣との間に意思の疎通まで可能にしてしまったエリン。これは、彼女の飽くなき好奇心と探究心から自ら学び取った
技のお陰なんだけど、師匠であるエサル師から『すべての生き物が共通して持っている感情は<愛情>ではない。<恐怖>よ。』と言われる。物語の中でもエリンとリランの人間っぽい感情の交感があって、わたくしたち読者もなんとなく甘い心地好さ
にシバシ浸ってしまうのだけど、上橋さんはそんな“スウィートな幻想”をコッパミジンに打ち砕く
。そーよねー。んなワケないわよねー
。そんなキビしさ
を何度もこれでもか、これでもかと描いた末のラスト・シーン
。ヤバ過ぎる
。「すべての生き物が共通して持っている感情は<恐怖>」かもしれないけど、親子の<情愛>もやっぱりあるのではないか、ってことが描かれてるのよねー
。このシーンを地下鉄
の中で読んでたんだけど、思わず目がシバシバシバシバ…
。
もうひとつ、わたくし、おぉ…と思った部分がありました。王獣を操れるということがバレた後、リョザ神王国の人間に王獣を使って王国を守るよう告げられた時、エリンはこう考える。『(王獣で闘蛇を制御する。音無し笛で、王獣を制御するように…。)なるほど、人という生き物は、こういうふうに思考するのだな』と。これ、まさしく、戦争の武器の話。核兵器を始め強力な軍備を持つことによって相手を威嚇し、制御しようとする思考
。賢明なる王国の王は闘いを避け、融和の道
を選ぼうとするんだけど……。
ここまでの展開では、王国のかたちにまとまりが着かないまま終わってしまっているので、この「武器問題」や、「歴史は繰り返される問題」(王獣と闘蛇が武器として使われ、国が滅びたという)がどのように昇華されるのか、続きが気になるところ。
そして実はもうひとつ、わたくし、すっごく感銘を受けた一文があったのよね~
。リョザ神王国はどうやら代々女性
がトップになるようなんだけど、この物語では「女王」ではなく「王」と記述されているのが、すっごく嬉しくて
。先代の真王(ヨジェ)、ハルミヤが難しい問題に決断を下す場面で『彼女は王であった。』ジェンダーフリーのお手本ッ
カックイーッ
そして面白かったのは、カザルム学舎でのエリンの親友、いつも前向きで陽気
なユーヤン
。彼女には訛りがあるってゆー設定なんだけど、それが“関西弁”。エリンやユーヤンがしゃべってる言葉は日本語ぢゃないと思うんだけど、“関西弁”。いいワ~~
。
ということで、続編に突入します
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